御礼
主人が逝って5日目の朝です。多くの方からのメッセージを頂きながら、自分自身の整理もつかないまま日が経ったというのが正直なところです。
自宅での仮通夜、葬祭場での本通夜、葬儀・・・と、毎日あっという間に過ぎてゆきました。沢山の人達が主人に会いに、そして私達家族を励ましに、集まってくださいました。
東京からも大阪からも・・・そのお一人お一人に御礼を申し上げたい気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。
闘病もせず事故でもなく、あまりの突然の出来事に、今このブログにあの日のことを思い出して整理してみようと思い立ちました。
長くなりますがお読みくだされば嬉しく思います。
11月23日の朝、主人は子ども達と私を学校に車で送ってくれました。「じゃあね!午後から熊本に行ってくるね」そう行って手を軽く振った姿が私がみた最後の主人でした。
「みゆきさん、落ち着いて聞いて!信じられんと思うけど今、真吾さんが倒れて今心臓マッサージをしているから。皆一緒だから、救急車で運ぶから」と、Tちゃんの緊迫した電話の声。時刻は23日23時40分でした。
彼は今頃熊本のライブハウスで楽しく過ごしているはず・きっとみんなで歌っているはず・カメラマンとして沢山の写真を撮ったはず・今朝私達を息子の学校行事のため車で送ってくれてその後熊本に行ったはず・そして私達残りの家族は全員福岡にいる・・・
信じられない。何かの間違い?・・・「すぐに行かなきゃ」とパジャマ姿の娘に着替えるよう指示をし、自分も急ぎ着替えを・・・先に寝ていた息子を一人残して行くわけにはいかず近くに住む母に電話。「状況は分からないけどとにかく来て寝てる息子を見ておいて欲しい」もうすぐ80になろうかという母を深夜呼んで、玄関の外でタクシーの到着を待ちました。
無意識に手に取った洋服は黒いパンツ・黒いセーター・そして黒いコートでした。どうしてあの時全身黒い服を選んだのか?今でも不思議です。
自分で運転するのは危ないと思い、急ぎタクシーを呼んだものの、熊本までの距離は遠く長く、心臓がドキドキするのを感じながら一刻も早く・・・と祈り続けました。
娘の手を握り「大丈夫。絶対大丈夫。パパは私達が来ることが分かっているから頑張ってるよ。」と二人励ましあいながらの車中でした。しかし・・・熊本の病院で治療を受けているはずの主人の容態を誰一人私に知らせてきません。タクシーは目的地に向かって急ぎ走り続けるも、私の携帯は鳴りませんでした。
もし手術を受けることにでもなったのなら「今からオペだからね」とか、蘇生出来たのなら「今、小康状態だからね」と、報告してくれるはずです。
もしかしたら最悪の結果が待っているのではないか?と、気持ちをしっかり持って娘の手を強く握って言いました。「よく聞いて。パパはもしかしたらダメかもしれない。その覚悟だけはしときなさい」
娘は「ママがそんなこと言ったらパパが可哀想じゃないの!私達が信じてないでどうするのよ!」と、強く反発し主人の生還を信じていました。まだ中2です。主人とは本当に仲の良かった溺愛された娘です。彼女は一心に祈り続けていました。
30分・・・40分・・・と、福岡を出て高速道路の上で、私の頭の中で色々な言葉が渦巻きました。
「誰も電話してこない。状況が本当に誰も分かってないのか?」
「誰も電話してこない。電話できない事情があるのか?」
「既に小康状態になり、あまりみんなが安心して喜び、私に電話するのを忘れているのか?」
その時は、病院で待機してくれているはずのバンドのメンバーやミュージシャンの友人達に、「どうして知らせて来ないの?」と、少し怒りや苛立ちの気持ちに近い感情が沸いて堪らずバンド仲間でもあり友人のE君の携帯に電話しました。
「一体どうなってるの?どうして状況伝えてくれないの?今どんな状態?オペ中なの?何とか言って!」
今思えば彼は私からの着信を確認したときは怖かったことでしょう。どう答えて良いのかわからないから電話できなかったのですから・・・。長年の付き合いです。E君の口調で全てを察しました。彼には酷な役目をさせてしまいました。ごめんね。
その電話で状況を把握した私は、信じたくないけどこれから待ち受けているだろう主人との対面を想像するだけで、手足がガタガタ震え息が苦しくなりました。隣に座る娘の手を更に強くにぎり「覚悟しときなさい。」と目を見て伝えました。彼女は涙をこらえコクリと小さくうなづき二人抱き合って病院を目指しました。深呼吸を何度も何度もしながら・・・。
主人は即死だったのです。ライブハウスで心停止していたと思われますから、皆さんの必死の心マッサージも効果なく病院到着時にも、呼吸も心肺の動きもなかったということ。後は何分間マッサージを続けるか?だけの状況だったと思われます。死亡時刻は24日0時30分でしたが、これはあくまで死亡宣告時刻であり、主人の本当の死亡時刻は23日23時40分位でしょう。
タクシーは1時間超かかってようやく熊本インターを降り、病院目指して走るものの、運転手さんは福岡の人。なかなか到着しません。そんな時パトカーが通りかかったので私は窓をあけ「すみません!熊本医療センターはどこですか?主人が危篤で急ぎ福岡から来たんです。誘導してもらえませんか?」と早口で話しました。
パトカーの赤いランプがくるくると点灯する後ろからタクシーは続きました。救急入口に到着したとき、ガラスのドア越しに10人ほどの知った顔が見えました。私が降り立ち入口に近づくとE君が私を出迎え抱きしめました。
その瞬間、体の力が抜けて座り込み号泣し、E君に抱かれたまま彼の背中を何回も何十回も何百回も叩きました。どんな台詞を言ったのかよく覚えていませんが、私のこのやり場のない怒りや湧き出る哀しみを止めることが出来ませんでした。
バンドのメンバー達、タクシーから思わず電話した熊本の産婦人科のI先生の奥様、その場に居てくれ最後まで心肺蘇生をしてくれていた人たちに向かっても大声で叫んでいたと思います。「どうしてみんな芝居してるの?早く全部嘘だと言ってよ。主人に合わせてよ。」と泣きわめきながら言ったような気がします。
突然死ですから警察の検視もあり熊本県警の方から説明があり、ドクターから死亡の事実が伝えられ、電子カルテを目の前に経緯を説明されました。CTの写真を見せられても血液検査の結果を見せられても彼の姿をみるまではまだ夢の中にいるような感じでした。
娘と二人で主人と対面した瞬間。彼は寝ているようでした。本当に安らかな顔でした。次の瞬間彼の「帰りたい」という声が聞こえました。「連れて帰ります。いますぐ福岡に連れて帰ります」と帰り支度を急いでもらいました。
霊安室に移動し、その場に居合わせた皆さんがお線香をあげ合掌してくれました。その間もずっと主人が私に言ってました。「早く帰りたい。ここは嫌だ」と。
霊柩車に彼を乗せ隣に私が座りました。娘は助手席に座り呆然としてました。「帰るよ。帰るよ。すぐ家に帰れるからね」そう言いながら私は主人の顔を撫でていました。福岡までの道中はスムーズでした。
最初の電話をもらったのが23時40分、病院に到着したのが日付が変わった1時30分。熊本を出発したのが4時。自宅を目指して彼を連れ帰る車中で驚くことにショックで気が動転しているはずの娘から意外な言葉が・・・。
「ママ・・・信じられないね・・・凄く哀しいけど・・・何ていったらいいか分からないけど・・・私がいるからね。K(息子)もいるからね。みんないるからね。ママを支えていくからね。パパもそばにいてくれるような気がするからね・・・」
彼女だって大声で泣き叫びたいだろうに、気丈にそう語ってくれました。そんな娘の優しさに嗚咽が止まりませんでした。
自宅に到着し、大好きだったビートルズに囲まれた彼のための部屋に布団を敷いて寝せましたら、びっくり!顔の真顔が笑顔になったのです。私には聞こえましたよ「嬉しい・・・ホッとした」という声が。
「パパ・・・仮通夜の間、部屋にはずっとビートルズをかけてあげてたけど満足でしょ?これまで仕事が忙しくあんなにたっぷり音楽のシャワーを浴びる時間なかったもんね。良かったね。これから思う存分好きな音楽を楽しめるよ。本通夜の夜は大学時代の友人や今の音楽仲間達が一緒に泊まってくれましたね。そして一晩中貴方のそばでビートルズを歌ってくれましたね。最高の友達だね。さすがです!葬儀でも弔辞で歌も歌ってもらいましたね。あんなにみんなの心がひとつになることってなかなかないよね?子ども達の学校関係の人たちや貴方の大学時代の友人たち、音楽仲間は私に言ってくれましたよ。私や残された子ども達に出来る事は一生懸命するって。今年レコーディングツアーに来たKさんは、大自然に触れさせる経験は僕がさせてあげられると思うから子ども達を僕のところに連れてきてよ・・・と言ってくれたしね。私、甘えさせてもらおうと思ってます。貴方のことですから今頃は相当高い次元まで行ったんでしょ?そちらでの役目があって全て準備万端ストーリー通りの展開で呼ばれたことくらいわかってますよ!もしかしたら今頃ジョンレノンに会ってるんじゃないの?”君は僕がヨーコを愛したくらい彼女を愛してきたか?”ってジョンに聞かれ”もちろん!君には負けない位ね”って答えて握手してもらってるんでしょ?
そして二人でセッションして曲を作ったりするんでしょ?その曲を私を通じてこの世に降ろしてくるような気がしてますよ。待ってますよ。人は生きた長さより人生をどう生きたか?が大事だといつも言ってましたね。見事なほど幸せに逝ってみんな拍手してますよ。私は今もずっと繋がっている感覚を感じてます。心から尊敬し心から愛していました。そしてこれからもずっとずっとその気持ちは変わりません・・・最高のパートナーと共に過ごせた15年間に深く感謝しています。これからも私や子ども達のことをよろしくお願いしますね。さようならは言いません。いつもそばにいること分かっていますから・・・どうぞしばらく仕事のことは忘れて歌いたいだけ歌ってください!」
娘は我が家と同じ宗派の仏教系の学校に通っています。その学校の理念や教育環境に惚れて入学を勧めたのは主人でした。毎週火曜日には生徒たちは読経しているそうです。手には念珠、仏教の授業も毎週受けており今回の父親の死に対して、私以上に悟りを持って接しています。
「パパは50歳で召されたことに意味があると思う。通夜~葬儀のお経をずっと聞いていて思ったけど、私もお経はあげられる。これからは私がパパのためにお経をあげてやりたい。私があの学校に通うことになったのはそのためだったような気がするから」・・・と。
49日の法要は12月29日に自宅のビートルズ部屋で執り行うことにし、大学時代の友人や音楽仲間に囲まれて一緒に歌って過ごす日とします。そしてその日のお経は娘が袈裟を着て読むそうです。まだ13歳の娘ですが彼女の自発的な申し出に心から「ありがとう」と言っている主人の喜ぶ顔が見えるようです。
私は不思議と心が落ち着いています。大きなものに包まれている感覚があの日以来ずっとあります。自分の心が慈悲や慈愛に近いものになっていることにも気付いています。
これから少し甘えさせて頂こうと思う、5日目の朝でした。
多謝


















