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2008年12月に作成された記事

忘れられない一年の最後に

12月29日は四十九日の法要を執り行いました。

本来の計算では正式な四十九日は1月11日・・・でもこの29日にすることで年内に法要を終えられることと、皆さんが集まりやすいと考えた結果、そうしました。

音楽仲間、友人、家族、故人と関わりの深い方々にお集まりいただき、まずは読経があがります。浄土真宗本願寺のお経の本を配って、導師である娘の学校の先生と一緒に全員で唱えます。まるで歌のような・・凛とした空気感がそこには漂っていました。中高生向けにいつも授業をなさっている先生だけに、引き続きの法話も大変わかりやすくためになるお話でした。


食事は自宅二階リビングにて・・・ミュージシャンの皆さんはお一人ずつ演奏してくださいました。想いを込めて、心を込めて、私たちのために。その一曲一曲は琴線に触れ、涙が溢れて止まりませんでした。

私のために選曲してくださったその曲たちは、お経と同じくらい胸に響きました。ありがとう・・・。


故人と共に活動していた空中再生もサポートメンバーと一緒に数曲。

そう、ここにはあの人がいたはず・・・そう思っていると「僕はここにいるよ。」と、私達に照明の変化などでその存在を知らせてくるのです。それは不思議な出来事のようでもあり、体が無くなっただけで魂やそのエネルギーはずっと残っている証拠なのかもしれません。


会も終盤になり、神奈川から駆けつけてくださったJさんが、オフコースの小田和正さんの「言葉にできない」を歌ってくださいました。本当はこの曲を聴く勇気がなかった私ですが、主人を亡くしてから「今、一番聴きたい歌」として心にしまっていた曲でした。

終わる筈のない愛が途絶えた
いのち尽きてゆくように
ちがう きっとちがう 心が叫んでる

(中略)

あなたに会えて ほんとうに良かった
嬉しくて嬉しくて 言葉にできない


あなたに会えてほんとうに良かった・・・心の底からそう思います。思い切り泣けてよかったです。Jさんありがとう。


宴は夜遅くまで続き、「まあ、葬儀でも喪主の挨拶したし、その後も人前で挨拶することが続いたし、もう怖いものはない。」そんな開き直りに近い気持ちで私も弾き語りしました。「朝陽の中で微笑んで」・・・大好きなユーミンの曲です。これも深い思いの曲になりました。

日が明けて30日には、友人達が参加する前出のJさんのサポートバンドの練習に強引に参加させてもらいました。「なにもこんな時にキーボード弾かんでも・・・」みんなはそう思ったかもしれません。

でも、「言葉にできない」のお礼と、一足先に千葉に帰った私の同志のO君の代わりに自分ができることがこれだったのです。ライブハウスでの演奏は社会復帰のための良いリハビリになりました。


この日、「喪中につき、年賀状の欠礼・・」というこのハガキが全国に届いたようです。
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「驚愕しました」
「信じられません」
「驚きで言葉を失いました」

そう、あまりに急なことで、まだ死去の知らせが知り合いの全員に行き届いてないのです。皆さまからメールやお手紙やお電話、沢山頂戴しています。本当に暖かい励ましありがとうございます。


年内のブログはこれが最後です。私にとっての2008年は忘れられない年になりました。

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友。遠方よりきたり

主人の出身大学の音楽仲間の皆さんが5人、昨日自宅に来られた。東京、千葉、韓国、静岡・・・遠方からお揃いで我が家に来られた。

「亀山が死んだなんて信じられない。自分の目で確かめるまでは・・・」みなそう思って自宅玄関に入って来られた。しかし、そこには遺影と遺骨が並び、彼の死は本当だったと受け入れなければならない瞬間まではすぐだった。通夜と葬儀にはどうしても足が向かなかった。本当は行きべきだと思ったが、信じたくなかった・・そういう思いの彼らを迎えるのは私にも「これまでの事を伝える覚悟」が必要だった。

20代の頃の彼らは、今聴いても古臭くない抜群の音楽センスと、スタジオミュージシャンレベルの技量と、冴えたアレンジで多くのオリジナル曲を作っては録音していたらしい。その頃の音源、そして写真を持参してくださり、福岡で迎える私の友人知人たちと共に聴いた。

「これ・・・結構すごくないですか?」そう、その音はプロそのものなのだ。

若い頃からこんなに凄いスーパーバンドで歌っていた彼だからこそ、そんじょそこらのプレーヤーやバンドを簡単には褒めなかったのだ。もちろん批判することもなければ、技量云々のことにも触れず「う~ん悪くないけど、僕たちのバンドはもっと凄かったもんなあ・・このレベルじゃ驚かんよ」・・いつもそう言っていた。

ギタリストのNさんやYさんのテクニックはプロ顔負けだし何と言ってもフレーズのセンスが良い。ベースのMさんもリズムはタイトで音が豊かでプロの領域。Iさんのドラムも当時私も大好きだったスティーブガッドを彷彿とさせる。
主人の歌は当時から光っていたようだ。

25年あまりの時のギャップを埋めるべく沢山の話をした。15年前の結婚式以来お目にかかる方もいらして、あんな話、こんな話で時間はあっという間に経った。途中歌ったり演奏したりお酒も飲みながら追悼の夜は更けた。

写真を見ては泣いて、映像を見ては泣いて、話の途中でまた泣いて・・・みんなで沢山号泣した。


5人は全員我が家に泊まり、今日は徒歩で行ける場所にある博多ラーメンの知る人ぞ知る「名島亭」へ。

男性5人引き連れて、紅一点の私。いつも一緒に行く主人の姿がないことに気づいた店主のいる厨房に歩み寄り「主人が亡くなりました。この店が大好きだったので、今日は大学時代の友人たちを連れて来ました」

店主のKさんは、その言葉を聞くなり「そ・・・そうですか・・・そうですか・・」と、今にも泣き出しそうな顔をなさって搾り出すようにおっしゃった。帰り際、奥様と店主から「これを仏前に・・・」と、持ち帰りラーメンのBOXを手渡された。

「ありがとうございます・・・きっと主人も喜びます・・・」胸が熱くなってまた涙がこぼれた。

涙が出るうちはまだまだしっかり泣けばいい。頑張らなくていいんだよ。そう聴こえた気がした五回目の日曜でした。

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再生される音の花束たち

人が亡くなると、銀行口座は即時凍結される。噂には聞いていたが、本当だった。配偶者や子供でも死亡した人の銀行口座からの預貯金引き出しは遺産分割協議が終わるまで不可になる。

それは死亡により相続がスタートするから。故人の財産(遺産)は、相続人全員の共有財産となるので、遺産分割協議を終えるまでは勝手にお金を使うことができなくなる。たとえ引き出すことができたとしても、故人名義の預金からおろしたことがわかると、後で遺産分割協議の際のトラブルになるので、死後の預金口座の扱いは慎重に。

・・・・人が亡くなった後、相続やお金のことでもめるのはとっても哀しいことだと思います。今後私に万が一のことがあった場合、子ども達はまだ未成年。ここはひとつ、正式な遺言書を遺しておくことにしよう!と決めました。


昨日は銀行に行った。亡き主人の銀行口座が凍結されている現在、学費や公共料金、もろもろの引き落としが出来ない状態では生活に支障をきたすので、全ての引き落としを私の口座に変更手続きをしている。

ロビーは年末のためか人で溢れていた。・・・福岡の地方銀行としては最大手のF銀行。

椅子に座って順番を待っていると「ん?どこかで聴いたことがある曲が・・・」そう、それは私が自分で作曲した曲でした。この銀行の開店時の音楽、そして時報、閉店時の音楽などをサウンドデザインする機会があり、千葉在住のO氏と一緒に完成させたBGMがその空間に流れていたのです。

時間は2時55分・・・閉店5分前。「システムが正確なら、ここであの曲に変わるはず・・・」そう思っていたら、閉店5分前ちょうどからまたオリジナルで制作した曲が流れました。15時ジャストには美しいチャイム仕様のBGMが・・・・

「う~ん、打ち合わせ通り!素晴らしい!」用件は既に終わったのに、そう感激していると、店内案内の方から

「閉店でございます。ほかに何か御用がございますか?」

ハイ・・・そうですね。この音楽が流れると閉店なんですよね・・・知ってますよ。

音の花束たちは今日もここでも活躍してくれている。


O氏はこの29日に四十九日の法要に参加すべく来福される。

「そうだ・・・一緒にF銀行に自分達の音楽を聴きに行ってみよう!」

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一ヶ月、そしてクリスマス

12月24日。今日はクリスマスイブ。そしてちょうど一ヶ月前の11月24日は主人の急逝した日。そう、今日で一ヶ月経ちました。


長かったようでもあり、あっという間だったようでもあり、まだまだ夢の続きのようでもあり、この世の出来事なのかどうかも分からないようでもあり、もしかしたら私も死んでいて頬をつねったら痛くない世界なのかもしれないようでもあり、今が何年で何時代なのかも分からないようでもあり、現実感がないまま日が過ぎたようでもあり・・・


月命日の今日は自分の本当の気持ちをここに綴ることにします。


この一ヶ月を振り返ると、この事実についてゆくのが精一杯だったような気がします。誰とも話をしたくない、誰とも会いたくない・・・ような日々だったはずなのに、ずい分無理していたことがよく分かります。自分が今ここでこうして文章を書き綴っていることすら不思議な位、私の中のエネルギーが残っていたことに驚いています。ただ書き続けなければ・・・記録しておかなければ・・・その一心でした。


周りの人々は、私と違ってずっとこの哀しみの中にいるわけではありません。


「そういえばShinさん逝ってから一ヶ月かあ・・・」と、感慨に浸ってくださることはあっても、お腹は空きますから普段通りにご飯食べたり、笑ったり、普通に会話したり、ライブで楽しげに演奏したり、お仕事をなさっているわけです。当たり前のことですね。皆さんには食欲もあれば、家族もいる。毎日色々な行事があり、今まで通りの時間が過ぎてゆくのですから。

私は・・といえば、まだあれ以来テレビを見ていません。見られない・・・いや見る気になれないというのが本当かもしれません。世の中の「ノイズ」となるべく雑音や雑念、騒音やマイナスの発言などに全て心を閉ざしているのです。食欲もなければ熟睡もできないままの一ヶ月でした。

そして、倒れないように無理にでも少し寝て、無理にでも少し食べてようやく生きている状態なのです。一日一食がやっと・・・。


主人の死を受け入れるには、本当は・・・本当は辛い毎日なのです。どう考えたら受け入れられるのか?と、自問自答の繰り返しの中、「これは事実なのだ。今の世の中から彼はいなくなったのだ」ということを自分で自分に言い聞かせるしか方法がないのですから。

だからこそ「あの人の死は尊いものだった」「見事に逝って幸せな人生だった」「私達は愛されていてこれからも守られる」「きっとすぐに生まれ変わる」・・・そう言い聞かせることで自分を納得させ、周りの皆さんにもそのように話し続けているのです。

主人と同じ年のご主人を亡くされた知り合いの女性社長は「私は主人を亡くして、涙が枯れて立ち直るのに3年かかったのよ」とおっしゃいました。彼女はその後、ご主人の遺された会社を引き継がれ今や全国的にも名の通った一流企業に育て上げられました。以前社屋に伺った折、前・社長であるご主人の笑顔の写真が入口に大きく飾られているのを拝見したことを思い出しました。そのご夫妻も大変仲の良いご夫婦だったそうです。

通夜の席で「私が全部、貴女の前に経験をしたから、落ち着いたらいらっしゃいね。お話しましょうね。」そう優しく慰めてくれました。辛い経験をなさった諸先輩のお話は故人の遺志の引き継ぎ方の指針になると思います。


皆さんは、「案外彼女は気丈にしている」と思っていらっしゃるのかもしれません。実際にそのようにおっしゃる方も多くいらっしゃいました。ほんとうは今すぐにでも、彼のところに飛んでゆきたいのです。どこに行けば逢えるのか?なんて考えず死んでしまえば迎えにきてくれる・・・そう思ったこともありました。

でも、子ども達の寝顔と、会社の社員の顔と、友人の顔とクライアントの皆さまの顔が浮かんでは「しっかりして!」と、エールを送ってくれるのです。そう・・・辛いけど私がしっかりしなければならないのです。

心がポキンと音を立てて今にも折れそうな毎日でも、これから先私に与えられた使命を考えると、1月11日の四十九日が過ぎたら社会復帰しなければならないと思うのです。そして子どもの前では父親の分まで彼らを励まして、友の前ではまだしばらくは大泣きしようと思います。


今日は主人の遺した「The Chrismas Song」を聴きながら、思い出に浸る日とします。

主人の死後一ヶ月のクリスマスイブに・・・


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コンサートを終えて

主人の四十九日が終わらないうちに、コンサートに出ること・・・これは私にとって大きな勇気を必要としました。普通は、まだまだ涙にくれてぼろぼろになって、誰にも会いたくないほど臥せっている時期なのかもしれません。

でも、12月20日のこのチャリティコンサートは、主人が亡くなる前から決まっていたスケジュールでした。小児がんの家族の会へのチャリティです。主人の代わりに出演してくれたK君、本当に重責だったことと思います。ありがとうございました。

そして、サポート出演してくれたBちゃん、Tさん・・・空中再生のメンバー達、主催者の皆さま、映像撮影を担当してくれたOさん、PAを担当してくれたSさん、司会をしてくださったHさん、裏方を全て引き受けてくれたA君・・・深く感謝します。

昨日は夜からは雨が降りましたが、朝は本当に見事な晴天。
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会場は「西南コミュニティセンター」
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建物にはレンガが使われ、趣きがあります。
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2ステージの演奏はある意味とても不思議でした。「空中再生」というグループは亡き主人を欠いた状態でもこうやってステージに立てていること・・・。彼は客席ではなくずっとステージにいました。


彼の死後、6キロ痩せました。心なしか指も細くなりました。
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司会のHさんのインタビューで「空中再生」のバンド名の由来を聞かれました。正直、核心をついた質問にどっきりしました。・・・何故かというと5年前に結成する際、バンド名を自分で考えた彼はこう言ったからです。

「空の高いところで生まれ変わる。そして空からも一緒にプレイする。いい名前だろう?」

まるでこんな日がやってくることを知っていたかのように・・・


Reborn in the Sky・・・本当にいい名前です。

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子ども達に支えられて

昨日は、息子は10キロの道のりを黙々と歩く遠行会。娘は学校で開催された「弁論・コーラスコンクール」。私はそのコンクールの応援に出かけた。主人の急逝からというもの、家を空けて本格的に外に出るのは本当に久しぶりだった。

一部は弁論大会・・・クラスの代表が一人づつ出る。二部はクラス対抗コーラスコンクール。女子校なので当然女性コーラス。昨年、娘は当日無念の嘔吐下痢で出演を断念したのだった。

今年こそ・・・と、合唱部でもある彼女は課題曲ではソプラノを。自由曲ではなんとピアノ伴奏を引き受けてきた。

娘はピアノを習っていない。楽譜もあまり確かに読めないはず・・・でもいつも家ではピアノを弾いている。ビートルズや自分の好きな曲を耳でコピーしたり、亡き主人にコードを教えてもらって親子セッションしたり。

しかし今回は、合唱曲のピアノ伴奏である。私も経験があるが案外伴奏は難しいのだ。

「お母さん、これ、私に弾けると思う?」

そういえば二ヶ月ほど前に私に聞いてきた。その楽譜は変ホ長調(Key:E♭)のかなり難しいものだった。フラットが三つつく調性だし、後半には更に転調してシャープが4つもつくKeyになるもの。左手はアルペジオの連続だし右手もハードルが高いアレンジだった。

「とっても可哀想だけど、無理だと思う・・・・ピアノを習っている人は沢山いると思うから今回は辞退して変わってもらいなさい」

そう私が言うと、彼女は悲しそうな顔をした。

その様子を見ていた主人は「やってみたらいいじゃないか。頑張ってやってみてダメなこともあるさ。それはそれでいい経験になる。自分で決めなさい。やると決めたら最後までしっかり頑張れ」そう言った。

それから毎日ピアノに向かい、私からのアドバイスはほとんど受けずに済んだのか黙々と練習を続けていた。

本番の日。娘は主人の遺影に向かってなにやら話をしていた。そして・・・
「じゃあね!お父さん行ってきます」元気に登校して行った。

私はといえば朝からドキドキして正直、見る勇気が自分にはないことに気付いていたが、仏前の主人に手を合わせてから思い切って出かけた。40数名のクラスメイトが壇上に並び、グランドピアノには娘の姿・・・演奏が始まってからというもの、結局エンディングフレーズが聴こえてくるまで私はステージを見られなかった。

長い長い4分半・・・

「ああ、私が代わりに弾いてやりたい・・・」何度途中でそう思ったかわからない。でもノーミスで引き続ける娘に感動していた。ピアノは習ってなくとも音楽的なセンスがあるのか、その演奏はとっても自然で優しかった。

顔が上げられなかったのは、涙が溢れていたから。両隣のクラスのお母さんは、主人が亡くなってまだ一ヶ月経ってないことや、傷心の想いで娘がピアノを弾いていることをご存知だった。彼女達もまた一緒に涙ぐみ、私に代わってビデオを録画してくれた。

エンディングのコードを引き終えたあと、少しの間があって会場からの拍手。ホッとした。そして心底嬉しく、娘を抱きしめてやりたかった。「よく頑張ったね。天国のパパにきっと届いたと思うよ。お母さんは嬉しい・・・」

『COSMOS』

詞・曲/ミマス

夏の草原に 
銀河は高く歌う
胸に手をあてて 
風を感じる

君の温もりは 
宇宙が燃えていた
遠い時代のなごり 
君は宇宙
百億年の歴史が
今も身体に流れてる

光の声が
天高くきこえる
君も星だよ 
みんなみんな

時の流れに 
生まれたものなら
ひとり残らず 
幸せになれるはず

みんな生命を
燃やすんだ
星のように 
蛍のように

光の声が
天高くきこえる
僕らはひとつ 
みんなみんな
光の声が
天高くきこえる
君も星だよ 
みんなみんな
 
君も星だよ・・・


その曲はまるで今の彼女をそっと応援するかのような内容だった。

「パパ・・聴こえましたよね?子ども達は一生懸命生きてますよ。」

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悲しい二文字

昨日は区役所に書類の受け取りに行った。死亡した人の除籍の履歴のある「戸籍謄本」が銀行の手続きやもろもろの書類として必要なのです。

窓口の女性は少し心身に障害がある方だった。

私が「主人が亡くなって死亡届は出てますが、その後の各種手続きのためこれらの書類が欲しいのですが・・・」と必要部数を書いた用紙を差し出すと、PCの端末に戸籍筆頭者である主人の名前や住所を入力し画面に出た情報を見ながら彼女が言った。

「ずい分お若くていらっしゃったんですね。奥さまも大変だったですね。」そう言ってくれた。

「悲しみにくれる暇もなく、こんな書類を手にしなければならない心中お察しすると本当に辛いです」そうも言ってくれた。

その言葉にはお役所仕事は冷たいもの・・・という概念などどこにもなく、彼女自身もこれまで沢山傷ついてきたであろう経験からくる思いやりや優しさそのものだった。

「ありがとう。現実的に進めなければならないこともあるのが今の世の中だから、仕方ないですね・・・」そう私が言うと

「今日は必要な書類は私が全て奥さまに代わって一度で済むように準備させて頂きます」きっぱりとそうおっしゃり手際よく段取りしてくださった。

本当に感謝の一言です。良い担当者にここで出会えて幸せでした。


手にした亀山真吾の戸籍謄本には、「出生」の記録と「婚姻」の記録・・・そして「死亡」の記録が記されていた。そして「除籍」という哀しい二文字を見た時、涙がこぼれた。

住民票上は死亡日の翌日から世帯主が私に代わっていた。本人の名前の上には棒線が引かれ、その存在そのものが消されたようでとても無念な気持ちになった。


「あの人の名前の上に棒線なんて引かせてたまるもんか。事務的には仕方なくとも、私たちの心の中では生き続ける人なんだ。」心でそう叫びながらの帰り道、ひとつの決心をした。


「亀山真吾」という一人の人間の存在を消してはならない。遺したメッセージをみんなで受け取ってゆくために、私が彼に代わって伝え続けなければならないことを感じるために、これから出来ることを真剣に考えよう!・・・と。

写真集、生前の映像をまとめたDVD、追悼コンサート、多くの人に触れる機会をこうやって作っている時間もとても大切な時間だと思えます。

喪中のはがきも、お香典返しの箱も、その中身も、四十九日の在り方も・・・精一杯彼らしく、そして私たちらしく演出しようと思います。だって「普通」の人じゃなかったんですから。

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コンサートに出る決心

今週土曜日12月20日は、主人と共に生前から決まっていたあるスケジュールがありました。

プライベートなバンド活動である「空中再生」のチャリティコンサートへの出演です。

チャリティの趣旨は財団法人「がんの子供を守る会」への売上の一部の寄付です。

主催はキャンパスサポート西南さん。協力は西南学院大学です。

メンバーの一人がその大学のOBであることから、もちろん故人も我々も選曲も済ませ出るつもりでいました。


急逝の後、一旦は出演を見送りました・・・。


しかし「本人が生きていたら絶対に出たであろうコンサート」ここは故人の遺志に添って意を決して出演することに決めました。主人の代わりにギターを弾いてコーラスを務めてくれるK君。そして主催者の皆さまのご厚意の中、喪中の身ではありますが当日は精一杯演奏しようと思います。天国の主人に届くよう・・・。

当日券でも入場可能だと思います。皆さまぜひ足をお運びくださいませ。記念すべき私たちのコンサートです。

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☆第2回西南チャリティーコンサート

日時:2008年12月20日(土)
   第一回 開場 14:30
       開演 15:00~16:45
   第二回 開場 17:30
       開演 18:00~19:45
場所:西南コミュニティーセンターホール
出演:ゴスペルクワイヤ・エンジェリックシャウト、空中再生、テレベルトグリーン、藤原のぞみ、柳原歌代子   
チケット販売:㈱キャンパスサポート西南・西南学院大学生協
       
入場料:1500円(未就学児はご遠慮いただいております)

主催:㈱キャンパスサポート西南
協力:西南学院大学 
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月のあかり

夕べ、知人からメールが・・・「今、お月様に光の輪がきれいに出てるよ。見てごらん」と。

母と一緒にテラスに出てみると、それはそれは美しい月でした。そのまわりに大きな天使の輪のようなものがはっきりと。
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「S君(主人の名前)は凄かね。こうやってみんなを光で包んでくれるなんて・・ありがとう」そう母が言いました。皆さまのお住まいからも見えたと思います。


今日は満月。どんなプレゼントを届けてくれるのでしょうか・・。


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祭壇

Kenshin

主人宛の郵便物は毎日届きます。洋服も靴も歯ブラシもそのままにしてあります。来週火曜日は夫婦揃って「人間ドック」受診の予定でした。健康そのものの主人でしたので、今年も二人とも大きな心配はしておらずのんびり構えていました。彼の死因である「大動脈解離」は検診でもわからないことが多いと聞いています。きっと来週予定だった年に一回の人間ドックでも予見できなかったのかもしれません。

これも運命です。楽に逝ったことだけが本当に救いです。

「召された」・・・そう皆さまがおっしゃってくださることが今は私の心の支えです。

天国で自由に歌っているだろう主人に「自分だけ自由になれていいわねえ」と愚痴のひとつも言ってやりたいところですが、大きな心で許すことにします。


全国の皆様方から届く暖かい贈り物やお手紙の数々・・・そのひとつひとつに深く深く感謝しています。そして身近な友人たちは私を一人にすまいと、気を遣ってくれています。ありがとう。

自宅の一階には愛用のスタジオがあります。その入口には昨年リフォームしたばかりのBeatles Roomが・・・

今、彼はこの部屋で眠っています。仏壇は似合わない人でした。彼らしくその部屋に遺骨と写真とCDを飾っています。仏具もシルバーの洋風のものを探しましたし玉響(たまゆら)という鈴も長い余韻の素敵な音色でゆらゆら揺れて鳴ります。
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この部屋で写真を見ながら過ごすとなんだかとても癒されるのです。

不思議なことは今日も続いています。そばにいることを感じながら今日も一日過ごしました。合掌

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朝陽の中で微笑んで

自宅玄関前からの今朝の朝陽です。
Asahi


子ども達を近くの駅まで送った帰り「朝陽の中で微笑んで」というユーミンの曲を無意識に歌ってました。


宇宙の片隅で めぐり逢えた喜びは
うたかたでも 身をやつすの

朝陽の中で 抱きしめて
形のない愛を包み込んで

・・・この歌詞のところでグッときて、車の中で泣きました。

12月8日はジョンレノンの命日でした。主人はまだあちらの世界までは行ってないような気がします。「自分の体がなくなったことはわかったけど、一度向こうでジョンに挨拶したらすぐに戻って君達のそばにいるからね」とでも言いたげな表情で写真の彼は私を見ています。

生前に主人が鉛筆一本で描いたジョンレノンです。

Jyon

音楽の才能だけでなく絵の才能にも長けていた人でした。

これは大学時代にやはり鉛筆だけで描いたエリッククラプトンです。
Kuraputon


そのどちらにも同じ英語が書かれています。この英文はきっと彼の座右の銘なのでしょう。
Zayuunomei_2


生前、私がこの英文の意味を訳して「・・・こんなことが書いてあるの?」と聞きましたら「う~ん、惜しいけどちょっと違う、君はもう少し修行が必要なのかもね?この言葉の意味が本当にわかる時は僕が死んだ時なのかもしれんね」そんなことを言ってました。悔しいけどまだ真の意味はわかりません。みんなに与えた宿題のような気がしています。


オノヨーコも残された立場でジョンのメッセージを世界に向けて活動を続けていますが、私にも何やら役目がありそうな感じで、主人が亡くなってからというもの毎日毎日・・・毎日毎日それはそれは不思議な出来事が起こり続けています。一昨日もきのうも今日も。

「これは何のメッセージなの?」「何を私に伝えたいの?」「ちょっと夢にでも出てきてちゃんと伝えてちょうだい!」と文句のひとつも言いたい私ですが、彼は夢には出てきません。色々な事象で一日中私に多くのことを伝えてきます。

考えてみれば24時間ほとんどを一緒にすごしてきた私達です。一般的な夫婦の10倍以上は話をしてきた私達です。亡くなって言葉が発せられなくなった今、朝から晩まで色々な出来事を通して私に話しかけてきます。

多くの皆さまがお読みくださっているこのブログに書くにはあまりに不思議な出来事が多いので、今はその全てをお伝えすることが出来ませんが、本当に普通では考えられないことが次々に起こっています。そのひとつひとつに意味があり、私に一生懸命教えてくれていることだけはわかります。そしてそのどれもが恐怖感や不安感ではなく「暖かく」「優しく」「穏やかな」に導いてくれているもので、姿かたちがない今、思い切り私に甘えているようでもあります。


中には「一体何をどうして、今のこの私に修行しろと言うの?」というようなびっくりするような出来事もありましたが、主人の仏前で聞いてみましたら答えがわかるのです。その通りにしますと(想うと)翌日にはすっきりと解決し相手の人たちから感謝の言葉をかけられるようなこともありました。

現実では考えられないようなこと・・・まだまだ沢山あります。あるんですね、こんなこと・・・。


主人のMACを信頼できる人に開いてもらいました。「家族の写真をずっと撮り続けていたので、きっとどこかのフォルダに整理していると思うので探して頂けませんか?」そうお願いしてのことでした。

ありました・・・それは、2000年、2001年、2002年、…2008年まで年数別のフォルダにしてあり、その中にも詳細に日付と旅行先や行事ごとにきちんと見事に整理されていました。

夕べ子ども達と一緒にその写真を見ました。その一枚一枚に主人の家族への愛が溢れていました。娘の写真は一つ一つの表情を逃すまいとしてシャッターを押したことがよくわかり、息子の写真は父親の愛そのものでした。そして・・・私を写したそれは「いつも自然体でいいよ」と言ってくれた素顔の私でした。いつも撮影する側の人でしたから本人の写真は少ないのですが、私がシャッターを押した写真や家族旅行のそれには4人揃った写真が何枚もありました。

今日はその写真を選ぼうと思っています。

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追悼映像

2008年という年を一生忘れることは出来ないでしょう。

11月3日にプライベートな活動である大人のためのコーラスグループ「空中再生」のCD発売記念ライブは、彼のラストコンサートとなりました。
Live1103_2


そしてリリースされた作品も遺作となりました
Cd_2

(AMAZONから購入出来ます)


命を削って生み出されたものたちをこれから私は伝えてゆく役目があると思います。生き生きした歌声、楽しそうに弾くギター、抜群のアレンジセンス、そのサウンドはラストコンサートの映像にしっかり残りました。

ラストコンサートのDVDが完成しました。亀山真吾・・・その人の遺したメッセージを感じて頂ける作品のひとつになりました。結婚当初に撮影した「The Christmas Song」をアカペラで歌ったプロモーション映像も入っています。ご希望の方にお譲りすべく準備中です。


昨日は二・七日でした。娘と息子と一緒にお経をあげました。まだまだテレビを見る気にはなりません。テロがあったことも日々色々なニュースがあったことも知らないままの今日です。

春には本人の希望であった散骨と追悼コンサートを・・・。今日も一日生きています。

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写真

明日は二・七日です。人は亡くなると7日に一回あの世にいくための試験を受けると言われます。7日に一回を合計7回。すなわち49日目に3次元の現世ではない、あちらの世界での居場所が決まるということなのでしょうか。

主人は明日二回目の試験を受けるようです。でも・・・どうやら「飛び級」という制度もありそうな気がしています。7日目の面談で、「あとの試験は免除」になった人のような気がしています。そう思わせるほどの見事な逝き方でした。あまりにストーリーが整いすぎていることに昨日も今日も驚きの連続なのです。本人は無意識だったことでしょうが、何の力でそうさせられたのか?不思議なことはこれからもずっと続きそうです。

私自身、大きな大きな力を感じて自分が変わってゆくのを感じています。


今日、写真家のK夫妻が来てくれました。葬儀の写真と生前撮影した写真が見つかったから・・と持ってきてくださったのです。10年前のそれは、少し照れながら被写体になった彼でした。私とのツーショットもあり貴重な貴重な写真になりました。Kさんの深い愛情に触れ、一人写真を眺めながら泣きました。

まだまだ49日までは近くにいるように思いますが、その後は新たに生まれ変わるんですね。

「空中再生」・・・Reborn in the Sky 空の高いところからあの暖かく響く声で歌を送ってくれるのでしょう。そして何に再生して私たちにメッセージを送ってくれるのか・・・みんなで待ちたいと思っています。

空中再生のアルバムは彼の遺作となりました。AMAZONでも購入が可能です。これからの拡がりを感じています。

今日も皆さまの愛に感謝しています。

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今日も一日・・・

毎日、多くの方の愛情とご厚意に包まれて過ごしています。故人が残した歌を聴けば、声や所作を思い出すだけでなく、大きな愛を感じられるのでその瞬間は暖かい気持ちになります。

あれからあっという間に時間が経ちました。今日も一日丁寧に生きなければと思いながら時計の針の進むのが早いこと。

「葬儀が終わってからすること」の一覧リストをもらいました。死亡届が出たら故人の銀行口座は瞬時に凍結され、個人、会社ともに様々な手続きが始まりました。

代表者の事業継承に伴う諸手続き、財産相続に伴う諸手続き、扶養家族の変更・・・
そして通夜・葬儀にご参列いただいた方への御礼や香典返しの準備。各方面への諸連絡・・・

その膨大な量に、とても年内で済ませられる自信がありませんが、遺影を前に「こんなに沢山の皆さまからご厚情を頂いたのよ。ありがたいことね」と、話しかけながら進めています。

本格的に仕事に復帰するのは四十九日を済ませてからでしょうか・・・。

「ゆっくりでいいのよ」「落ち着いてからでいいのよ」と皆さん励ましてくださいますが、会社の経営も移譲された今の私の立場ではそうとばかりも言ってられない現状もあります。

まだまだ主人が逝って10日。もっと泣いて暮らした方がいいのかもしれませんが月日は確実に経過していきます。

皆さまの暖かいお気持ち心から感謝します。この場を借りて御礼申し上げます。


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初七日を終えて

先週の日曜日の第一報から、あっという間に一週間が過ぎ、夕べは初七日の夜でした。

12月1日にはビートルズが大好きな建築家の先生のご退職記念の式典とパーティがありました。もちろん喪中の私は失礼しましたが、会社でその演出を請け負っていたので、気にはなりながらも・・・社員や手伝ってくださる方のお陰で「あとは当日進行を滞りなく行うばかり」の段階までの準備は進めていました。

亡き主人もそのパーティでビートルズを歌うことになっていました。「甲虫再生」という3人のメンバーでアコースティックギターで歌うビートルズユニットです。

主人の代わりに出てくださったIさん本当にありがとうございました。プロとはいえ、一度の練習で代役を務めていただけるなんて感謝の気持ちで一杯です。


終了後、私の代わりにパーティを無事に進行してくれた全員が、自宅に報告に来てくれました。無事に終わりホッとしました。仏前の人となった主人にそれぞれの想いを伝えて、ビートルズ談義、生前の思い出話・・・彼らしい初七日になったと思います。

こうやって色々な人達と話している時は気も紛れ、自分の気持ちも再確認できるとても良い時間なのですが、子ども達の寝顔を見ているとやっぱり涙が止まりません。


まだまだ一週間。
主人が亡くなってからの5日間はとても変な天候でした。雨が降ったり風が強かったり、かと思えば急に晴れたり…自宅の前の多々良川には見たことがない風景が展開されていました。何かが通ってゆくかのごとくさざなみが起きて「ねえねえ一体僕はどうなったの?」と、自分でも信じられずに主人が私に聞いてきているような感じでした。

昨日今日はすっかり天候が落ち着いて穏やかに晴れています。

「あ~あ、どうやら3次元の自分は亡くなってもっと別の世界に行ったんだな。」と本人も自覚したような気がします。不思議なことは毎日毎日起きています。そしてこれからも続くのでしょう。スピリチュアルなことは私には解りません。ただ今はそばにいて見守ってくれているという感覚だけは感じられます。


昨日は私と一緒に登校した娘でしたが、今朝は「学校に行こうね」と起こすと首を横に振りベッドで泣いています。行きたくないのではなく胸が痛くていつものように振舞えないのでしょう。当然です。ゆっくり時間をかけて癒されてゆけばいいと無理強いはしませんでした。

心が癒えるにはどの位の時間がかかるのか、今はわかりません。もうしばらくはこんな風に時間がゆっくり過ぎるのだと思います。


みなさんからの励ましやご厚情に心から感謝する毎日です。ありがとうございます。

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